創業者の想い
創業者「高橋英臣」の想い
現社長の父であり、八橋装院の創業者でもある故・高橋英臣が、生前若かりし頃、
島根県出雲市にあるワイナリーを訪れた際に出会ったワイン職人に感銘を受けたというエピソードが残されています。
「なんとしてでも素晴らしいワインをつくる」 というワイン職人のスピリッツに触発され、
その想いを自身の洋服づくりにかける 想いと重ねた彼は、自社工場のことを「フクナリー」と表現しました。
その仕事に対する並々ならぬ情熱は、今なお、後継の職人たちに脈々と受け継がれてきています。
八橋装院という社名
創業者の名前は「高橋」なのになぜ「八橋」となったのか。
なぜ「縫製」ではなく「装院」になったのか。そこにも創業者が語ったエピソードが残されています。
創業者が「八」にこだわった理由、それは日本では八は発展、繁栄、幸運の数とされ、 縁起がいい数字ということ。
そして自身の設立した会社が「末広がり」に現在、未来へと脈々と受け継がれ、発展し続けてほしいという想いがありました。
洋服につ いている品質表示に押される検品者印も実は八橋という印が押されています。
また、 2014 年にリニューアルされた自社工場のロゴにも8。
自社ブランド FUKUNARY のロゴにも8。今でも八橋装院にとって「八」は特別な意味を持つ数字なのです。
「装院」としたのにもちゃんと理由がありました。それは創業者が「職人の育成」にも力を注いでいたということが深く関係しています。
自らも職人であった創業者は、後継者にも高い技術力と感性を身につけさせるため、
島根県に養成所(八橋装院出雲研究所)をつくり、職人育成に心血を注ぎました。
そうした努力が多くのエキスパートを生み、国家資格「婦人・子供服製造技能士」の特級取得者や一級資格者を多く輩出しました。
現在、国内縫製が脆弱化する中、職人の後継者問題が全国で浮き彫りとなっていますが、
八橋装院では、今なお積極的に若い人材を受け入れ、職人の技術の継承を進めるとともに、若い人材のもつ、
ものづくりに対する才能と情熱を活かし、国内縫製の魅力を伝えるものづくりをおこなっています。